2016年 07月 09日
天真爛漫を失うとき
お昼を一緒に食べながら
昔(幼児期)の自分は陽気でものすごくお喋りだった(らしい)と言ったら
家族が驚愕していた
前日までどこにいようと周りに誰がいようとおかまいなく
大きな声で思ったままのことを陽気に喋っていた息子がある日突然
バスや電車の中では
私の耳もとに顔を寄せて小さな声で内緒話をするようになった
それまで叱ったり注意したりしたおぼえはなく
大声で話しかける息子に答えるときに
どうしても小声になってしまっていたから自然にそうなったのかもしれない
公共の場での正しい在り方を学習したのだな
と嬉しさ半分
無垢な魂が傷付き失われたような気がして
寂しさ半分
天真爛漫で穢れなき赤ちゃん時代が終わり
周りに気を遣いながら生きなければならない大人への入り口
悲しければ泣き楽しければ笑い喋りたいことを喋るありのままの自分を
受け入れてくれない人や時や場所があるのだということを悟る
という いわゆる物心がつく瞬間を目撃したわけで・・・
そのときのことを思い出す都度
朗らかでお喋りなままの自分をキープできなかった母子のDNAとその環境を想い
哀しくなる
物心ついてもなお朗らかでお喋りな(明るい性格の)人というのは
どんな環境で作られるのだろうか?
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by nanoo6B
| 2016-07-09 17:55
| 思うこと